nabeliwo note(旧)

5万人に1人になる。

『君の名は。』を見たぞい。胸が痛いぞい

注釈1。ネタバレはしないから安心して良いぞい。
注釈2。レビューなぞしない。

朝6時に起きたのさ

休日の朝6時から起きるなんて。
平日は9時に起きているというのに。

そんなわけで早朝に劇場に行って『君の名は。』を見てきた。
ここ1,2ヶ月でなかなか映画館に赴いている気がする。しかもどれも当たりだ。良き日々だ。

感想

たまらん。胸が痛い。

この胸の痛みは別にストーリーが悲しかったとかそういう話じゃなくって。

自分語りをはじめる

なんかこう、人はみんな劇的な人生を期待していて、いや、違うな、みんなではないかもしれない。少なくとも僕は、そして僕が考える多くの人は劇的な人生を期待している。と思う。
それでも、期待しつつも実際劇的なものなんて何もないってことに気付いていて、だから自分で日々を楽しくしようと努力する人もいれば、楽しいと思えるものにひたすら打ち込んでいる人もいれば(僕はこのタイプだ)、ないと心のどこかでわかってはいても劇的な何かが向こうからやってくることをただ待っている赤子のような人もいる。
人はいろいろだ。

映画っていうのは、なかなか日常を映したりはしないものだ。日常の中の非日常を映してみたり、はたまた非日常の世界の中の日常を映してみたり。
とにかくいつもこう思う、そんなこと実際はあるわけがないと。

あるわけがないとは思っているけれど、でも僕はそういうものを求めて映画を見に行くわけだから、別にそれが悪いとかそういう話ではなくて。
まあそれでいいのだ。「んなわけねー」とか言いながら笑ったり、驚いたり、悲しんだりできたらそれで良い。

今日はなんだか、「んなわけねー」的な気持ちがなかった。
別にそれはとても日常的なお話だったからとかじゃなくて、やっぱり映画になるくらいだから実際には「んなわけねー」的なことがまああるんだが、そんなこと感じないくらいに世界に入り込むことができたというか。
「がんばれ!がんばれ!」ってなったり、失った何かを取り戻したい気持ちになったり、まあなんか総じて常に胸が痛かった。

人はそれを青春コンプレックスと呼ぶ

そうだ。あれは間違いなく青春だった。青春映画だ。青春映画を僕は見てしまったんだ。
でもさ、ただの青春コンプレックスだとか、よくあるやつだとか、そういうことを言ってくれるな。そうじゃないんだ。

僕の人生は確実に劇的ではない。
そりゃあまあ人に言ったら驚かれるような体験談はあるし、笑いの種になるような話もいっぱいある。けれどそれはまあ日常の中の一つの出来事という枠から抜けることはない、人並みの「色々あった経験」だ。
劇的ってのはもっとこう、いちごパンツの女の子を追っかけてたら気付いたら自分のことを好きな女の子が四方八方にいてその狭間で揺れたりとか、幼い頃結婚の約束をした女の子が高校生になってからたくさんでてきて誰が本当にその相手なのかって探ったり、しゃーんなろーって言ってる女の子を好きになったんだけど気付いたら白眼の使い手と結婚したり、サイヤ人だったり、そういうやつだ。

劇的じゃなかったから劇的なものを見て羨んだり、素晴らしい青春じゃなかったから青春を見て羨んだりとか、そういう話をしているわけじゃないんだよ。
別に青春コンプレックスなど僕にはない。星新一も言っていたじゃないか。「青春とはもともと暗く不器用なもので、明るくかっこよくスイスイしたものは商業主義が作り上げた虚像にすぎない。」っつって。

つまりですね

僕はもう26歳なわけです。僕とか言ってる歳じゃないな…。

そんでね、もうこんな大人だから、高校生がわちゃわちゃする話を見ると仮に高校生のときに見た場合と比較したとすると、確実に何か余計なバイアスのかかった感想を持ってしまうわけですよ。

だから僕がさっきからうだうだ言ってるのを見てね、本当にただの青春コンプじゃないかと思うんだと思うんですよ。
でもね、そうじゃなくてね、僕が胸が痛いのはね、そういうことじゃないのさ。

ようやく結論にはいる

なんかこう、人生は劇的ではないし青春はもう送れないし、だけれどね、僕の心の中には劇的な何かだったり、いまでも青春できる何かが眠ってるんだと思うんですよ。
そこをね、チクチクと突いてきた。『君の名は。』のやつが。

あーー、疼く、僕の中にある情熱の炎が。疼く。血湧き肉躍る!
っていう、簡単に言うとそんな感じの感情がもうちょっとスウィーツな方向に寄った感じの、そんな気持ち。

あ、わかった

書いていて今ようやくわかった。
若干映画の内容に踏み込んじゃうので、冒頭でネタバレはしないって言ったので申し訳ないんだけれど、ほんのちょっとだから許してほしいのだけれど、「何かをずっと探している」みたいなフレーズがあって。

そいつだ。そいつがずっと僕の琴線をぐわんぐわん振り回してくるんだ。
探しているんだと思った。僕はまだきっと見つけられていない何かがあるんだなって。その探しているものが何かさえわからないのだけれど、きっと何かを探しながら人生を送っている。

それなりに幸せな日々を送っていて、それなりに楽しいことをライフワークとして続けることができていて、でも何か現状に満足できない渇きみたいなものがあるんだ。それはきっとみんな同じなんじゃないかな?知らんけど。

見つけたいという気持ちを強く揺さぶられた。だからこんなに胸を痛くさせられてしまったのか。

よし、決めた

僕は、走ろうと思う。
これは人生を謳歌するとか走り抜けるとかそういう比喩的なやつではなくて、物理的に走っていこうと思う。
我ながら何言ってんだって思うけれど、とりあえず今はひたすら走ってたら何か気づきがある気がしてならない。

君の名は。』によって気づかされた僕の中に眠っている探しものには、走ったら近づける気がしてしょうがないのだ。

以上です。
最後に、今回の学びから僕が気付いた当たり前教訓は、「人生は自分の手で劇的にするものだ」ということでした。
こちらからは以上です。ではまた。